壱岐には知られざる秘境があることをあなたはまだ知らない。

今日は、

鬼塚もまだ足を踏み入れていない壱岐の秘境へ、

GO!

 

壱岐郷ノ浦港…ではなく、

渡良浦(わたらうら)港より、

三島(大島・長島・原島)うち、

大島と長島を目指します!

さぁ、

39分間の小旅行へ、

GO!

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フェリーみしま専用桟橋♪

字がなんか可愛くない?

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フェリー着岸→乗船→離岸までかなり素早い!汗

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小ぶりな船体ですが、

なんとクルマも乗ります!

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船室は、

2階建。

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1階客室は、

こんなカンジ。

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ちょっと外に。

海から見る壱岐のシンボル・岳の辻♪

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進行方向に見えてきた今日の目的地♪

左が長島。

右が大島。

上陸後、

中央に見える、

両島をつなぐ珊瑚大橋を歩いて渡ります。

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無事、

大島港に着岸。

帰り便、

16:00発が最終便なので、

乗り遅れんように。笑

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待合所、

完備です。

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壁には、

大島観光MAPが。

まずは、

大島海水浴場へ!

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歩くこと(途中何も目印や案内がなくって迷いに迷った時間は除く汗)…15分。

壱岐の人が誰もが言う、

壱岐の海水浴場で最も美しいビーチ」着いた!

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この突堤を中心に、

ツインズビーチ〜♪

 

ビーチから見える、

岳の辻♪

あ、

九州郵船のフェリーがちょうど。

お、

ウチも見える!

…はず。

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さて、

ココから一気に、

お隣の島・長島へ!

みしま小学校を通って…

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牛!

写真奥に仔牛がいたので、

思いっきり威嚇されました!汗

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珊瑚大橋より、

ノルディックウォーキングポール越しに、

郷ノ浦大橋と岳の辻をのぞむ。

お、

ウチも見える!

…はず。

なぜならば、

ウチからこの珊瑚大橋見えるからね。

しかも、

ココもウチも同じ郷ノ浦町内だし。

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しかし、

ナゼこの色?

橋の逆側(外海側)はまったくこんなじゃないのに。

誰か知っている人、

教えてください〜☆

ちなみに、

同じエメラルドグリーンの海・辰の島の船長さんは、

「知らん!笑」と。笑

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折り返し地点、

長島港待合所と、

長嶋神社♪

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それから大島に戻って、

大島神社

…ココ雰囲気あるなぁ。

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そして無事、

壱岐(勝本)へ戻って、

カンパーイ♪

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郷ノ浦港・渡良港から、

なんと1日4便も就航しています!

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運賃は、

三島〜渡良港だと、

片道360円。

島民割引で、

160円!

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如何ですか?

行きたくなったでしょ?

ゼヒ〜☆

 

あ、

今年度の「たんがるディックウォーキング倶楽部」の新コースに入るかもです。

ボランティア参加も、

ゼヒゼヒ〜☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教科書の中の「サラエボ事件」とドラッカーに依る現実の「サラエボ事件」、そして、新たな文明が創られた…

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「知の巨人 ドラッカー自伝」ピーター・F・ドラッカー,牧野洋 訳・解説,日本経済新聞出版社

この自伝は、日本経済新聞に掲載された「私の履歴書」を、文庫版としてまとめた名著です。

 

その冒頭、ドラッカーは述懐する。

 

「私が生まれたのは1909年11月19日、第1次世界大戦が始まる5年前のウィーン。今はアルプスの小国オーストリアの首都で、もっぱら「音楽の都」として知られている。とても国際政治の中心にはなれないが、当時は数百年にわたって欧州に君臨したハプスブルク家が支配し、人口は5000万人に達する大国オーストリアハンガリー二重帝国の首都だった。」

 

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「音楽の都」…イイ響きだ。←すっかり酔いしれてしまい社会復帰が危うい鬼塚であった汗


さて、本題に戻ります。

 

「14歳か15歳になったころ、父アドルフから「お前が5歳にもなっていないころ、夏休みにアドリア海を一家で旅行したことを覚えているか」と聞かれたことがある。

私はうなずいた。ビーチと砂浜が目の前に広がり、そこで風変わりな水着を着た母キャロラインと一緒に砂の城をつくった記憶がかすかに残っていた。続けて「あの時、早々と夏休みを切り上げたことはどうか」と聞かれたが、覚えていなかった。

実は、あの時に第1次大戦が起きたのだよ。お父さんは何年分も休暇をため込んで、お前たち兄弟とたっぷりひと夏を過ごすつもりだった。だが、皇太子暗殺の知らせが飛び込んできた。戦争は何としても回避したかった。だから、急きょウィーンに戻ることになった」

 

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1914年6月28日。ボスニアの首都サラエボドラッカー家の、ピーター自身の、そしておそらく我々の運命を変える事件が起きた。

 

「1914年6月、大戦の引き金となる事件が起きた。帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント皇太子が、ボスニアの首都サラエボで暗殺されたのだ。外国貿易省の長官として帝国政府内で影響力を持っていた父は、家族を連れてウィーンへ戻らなければならなくなった。」

 

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狙撃された皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の乗っていた自動車。

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大公がその時着用していた衣服。同乗していた妻に、「ゾフィーゾフィー!死んでは駄目だ。子供たちのために生きてくれ」それが彼の最後の言葉となった。

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これらはすべて、ウィーン軍事史博物館に展示してある。

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ウィーン軍事史博物館

www.hgm.at

 

その時、父アドルフは…

 

「父は平和主義者として知られていた。財務省の高官で同じ平和主義者の友人から「軍部がむちゃな戦争を起こさないよう説得工作に協力してほしい」と頼まれ、快諾。ウィーンでは大臣や政治家の説得に乗り出したり、側近を通じてフランツ・ヨーゼフ皇帝に直訴したりした。」

 

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フランツ・ヨーゼフ皇帝が執務した、シェーンブルン宮殿。毎日、早朝5時から16時間におよぶ激務だったという。

 

「しかし、それは徒労に終わった。息子を失い、80歳を超えていた皇帝にはもはや軍部を抑える気力もなく、帝国は独立国のセルビアに宣戦布告。セルビアを支援するロシアなどが黙っているはずはなかった。ついに大戦の火ぶたが切って落とされた。」

 

「幼かった私は戦争のことなどわからず、父がどんな仕事をしているのか知るよしもなかった。それまで通り近所の子供たちと一緒に遊び、学校へ通った。

育ったわが家はウィーンの郊外にあった。ぶどう畑の中にある陸の孤島のような開発地区に建てられ、大通りから隔離されてとても静かだった。2階の窓から下を見るとウィーンの街全体、上を見るとぶどう畑の先にウィーンの森を一望できた。」

 

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ピーター少年も眺めたであろう、ウィーンの森の入口Kahlenbergよりウィーンの街が一望できる。右手に、Grinzingのぶどう畑が広がる。

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ドラッカーの生家は、ウィーン19区デーブリングdöbling カースグラーベン通りkaasgrabengasse 36番地に現存する。

 

「この地区は10世帯しかなく、子供は全員で15人。これが幼い私にとっての全世界である。仲のいい両親を持ち、比較的富裕な家庭環境にあって、何不自由なく過ごしていたと思う。ちなみに、15人のうち今でも生きているのは、18カ月年下の弟ゲルハルトと私だけだ。」

 

今でこそ高級住宅地として名高いエリアですが、当時10世帯しかなかったとは…歴史を感じますね。

 

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「著名な建築家 Josef Franz Maria Hoffmannの設計による」とプレートに示されている。が、ドラッカーの生家ということは地元の人にも殆ど知られていない。

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現住人を訪ねようかとも思ったが…サスガに、それはやめた。笑


「大戦勃発時に私には帝国の首都に生まれたという意識はこれっぽっちもなく、ウィーンの外の世界に関心を持つようになったのは大戦後の9歳か10歳になってから。その時には、アドリア海からロシア国境まで広大な領土を持っていたハプスブルク帝国は敗北し、解体され、もうなくなっていた。」

 

当時、ピーター少年が聴いた、オーストリア=ハンガリー帝国の政府高官だった父アドルフと、後のチェコスロバキア初代大統領トーマシュ・マサリクとの会話・・・「文明の終わりだね」と言ったこれらの出来事。

 

その少年が、後に、新たな文明である「マネジメント」を創り出すとは、まだ、誰も知らない。

アノ噂は本当だった!おそらく皆が気になっていたアノ噂をアノ街角で検証した結果

今般のウィーン渡航

ジツは裏テーマがあったという、意外に知られていないジジツ。

 

「1997年の春、フィンランドではじめて「ノルディックウォーキング」が発表されました。誰でも簡単に覚えられ、5分~10分で運動効果を感じられる、最も運動効果の高いスポーツとして、フィンランドでは瞬く間にポピュラーになり、まもなくドイツ、オーストリアで普及しました。」

 

…って、インストラクターのテキストに書いてあるのを、自らの眼で確かめるという密命を(誰の?笑)帯びてウィーンに来たのです。

 

して、その結果は?

「まちがいない!」

 

たんがるディックウォーキング倶楽部の皆さん♪

「ポール持って歩くとちょっと恥ずかしい…」なんて言わず、自信満々にいきまっしょう〜♪

 

以下、鬼塚が決死の思いで激撮した、動かぬ証拠写真&動画です。

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滞在したアパートメントからひたすらまっすぐ登ると、Sisi Kapelle♪ 今回、始めて遭遇したノルディックウォーカー(老夫婦。ナゼか奥さんだけポール)に大興奮!

 

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その帰り道、またも!しかも結構若い男性で、足の運びからおそらくリハビリ目的だと。なので、なんとなく声はかけられず…。

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リンツィングの街中でも♪

かなり早いペースですね。

ウィーンの皆さん、ポール長め使い(運動効率高め系)の人がほとんどでした。

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トラム(路面電車)にもポール持ってた人がいたので、その人が降りた瞬間撮ろうと構えてたら、すぐお店に入っていくという…。笑

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カーレンベルクの丘にむかう、葡萄畑の脇道でも…。

 

www.youtube.com

カーレンベルクの丘の頂上でも…あ、上手く撮れてなかった。汗

 

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ウィーンの森ハイキングコースでも…。山使い、結構多いですね。

 

と思いきや!

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超観光地・シェーンブルン宮殿でも♪ あ!っと思ったらすぐ通り過ぎるので、カメラに収まってない人多数です。汗

 

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カフェ入口のコート掛けにも、上着と一緒にポールが!笑

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ノルディックウォーカーは、ウィーンの街至る所に存在していました!ってことで撮影終了!オツカレ、オレ!


如何でしたか?

ウィーンにおいても、ノルディックウォーキングが日常化している様子。

ってことは、そのブームの波がニッポンに押し寄せてくるのは…

 

「まちがいない!」

 

以上、ノルディックウォーキング最前線の現場から、鬼塚がお伝えしました!

#旅立ちは昔も今も日本橋

新年度より、

自らの環境変化に伴い、

様々なモノを「廃棄」して刷新している鬼塚ですが、

SNSなどの投稿(記録)のタイトルも、

「#newlife,#newjourney」

と刷新しました。

そもそも、

「どうしてこのタイトル?」

という興味の声が多数寄せられたわけじゃないけど、

勝手に解説します。笑

 

理由…

一言で表すと、

「断絶」です。

 

名著・『ドラッカー入門 新版』にも、ドラッカー自身も自らの人生を「断絶」(成功体験の体系的廃棄)したことが記されています。

www.diamond.co.jp

ま、ドラッカーと鬼塚の人生を並べて語るとは、

まったく烏滸がましいのですが…。

それはちょいと置いといて、

 

ドラッカーが移り住んだ主な場所は…

オーストリア

ウィーン郊外の閑静な住宅地

デブリング

ドイツ

イギリス

ニューヨーク

クレアモント

先の『入門』には、こう記されています。

「ようやくたどり着いたニューヨークで手にした有名コンサルタント、大学教授という地位や肩書もやがて捨てている。さほど名の知られていない西部の大学院に移籍している。

プロセスだけを見れば、成功を捨てていく課程と同じである。」

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ピーター・F・ドラッカー「20世紀に身を置きながら21世紀を支配する思想家」

 

何度も言いますが、

ドラッカーと鬼塚の人生を並べて語るのは本当に烏滸がましいことです。

が、

彼を信奉する者として、

その追体験を自らの基本にする。

言わば、

鬼塚の行動原理。

 

さて、

重要なキーワードである、

「断絶」・「廃棄」。

 

これらを、

我々凡人であっても、

日常・非日常的問わず実現可能で効果的な行為…

 

もうおわかりですね?

そう、

旅です。

 

中田英寿氏の印象的な引退表明も、

「人生は旅である。」

このように、

人生と旅を準える例は、

枚挙にいとまがありません。

 

鬼塚にとって、

これまでの自分を体系的に廃棄する。

これからの新しい自分を創り出す。

その機会としての、

旅。

それを、

「#newjourney」と表現し、

今日もまた、

鬼塚は旅に出るのであった。

 

最後に、

ドラッカー入門 新版』からの麗筆でこのブログの擱筆とします。

「少年時代に体験した断絶を考えれば、いかなる変化が自らの身や社会に訪れたとしても、その世界観は微動だにしなかった。むしろ断絶の追体験を自意識の基本に据えた。

ドラッカーは、ある時点で過去の自分を切り離し、訣別して、今日から新しい自分が始まると言った生き方を死ぬまで続けた。そこに喜びさえ見出した。後に「断絶」という表現をもって、文明の根源的な変化を捉えていくわけだが、われわれはドラッカーの実人生が文明とマネジメントへの視座に忠実に映し込まれているのを見る。」

 

それでは、

お互い、

佳き旅(人生)を〜☆

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羽田空港になぜか立派な日本橋 #旅立ちは今も昔も日本橋

We have a very important announcement from NAGASAKI with Love.

 

Dear All,

I would like to inform you that I am resigning from 壱心会 after 3 years and a half of service.the end of this month. will be my last day of employment.

My experience here at 壱心会 has been both challenging and rewarding.

I would like to take this opportunity to thank you for the support and encouragement you have provided me during my time 3 years and a half at 壱心会.

Thank you very much for your kindness and friendship.

この3年6ヵ月間、ご縁をいただいたすべての皆さまに心から深謝申しあげます。

 

Very truly yours,

 

鬼塚 裕司

 

 

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自らの、"Integrity" を自らに問う。

ikd4.strikingly.com

to be continued...

NEW LIFE, NEW JOURNEY「我見る,ゆえに我あり」