こないだ、
早岐(はいき)にある人気のカフェ、空(KUU)で、
食べたトルコライス♪
…美味しゅうございました。か・な・り・ま・ん・ぷ・く。
閑話休題。
こないだ、
壱岐の高校生たちと話した時、
「壱岐にはなんにもないんです」と。
ふーん…
じゃー何が欲しいのさ?と訊ねたら、
「ボウリング場とか、映画館とか、ファミレスとか…」
ふーん…
そんなんが欲しいのか…
とは言わず…
それって壱岐以外、ドコにでもあるんじゃない?
だから、日本の地方の国道沿いなんて、ドコも似通ってる風景だよ。
と、エラソーに言ってやった。
すると…
「そうか!この風景は、壱岐にしかないってことですよね?
壱岐にはあるけど、ヨソにはないってことですよね?
…壱岐には、あるんだ!」
ハッΣ(゚Д゚;)とした。
ないってこた…ある???
んー?
セッキョーオヤジ、鬼塚は、どうだ?
諌早⇔壱岐の二重生活をしてる鬼塚だからこそ、見えるモノがあるはずだろ?
本当に、
諌早には、ある、のか?
壱岐には、ない、のか?
面白そうなので、
ちょっと整理してみた。
諌早に「ある」けど、壱岐に「ない」モノ
テレビ、電子レンジ、シアタールーム、堆く積まれた本やCDやDVD、そして、騒音やザワメキ。
諌早に「ある」けど、壱岐にも「ある」モノ
気合い、充実感、志を同じくする朋や友、そして、愛。
諌早に「ない」けど、壱岐に「ある」モノ
小鳥のさえずり、蛙の大合唱、道で交わす挨拶、そして、スペース。
うーむ…
ま、要するに、アレだ。
「なんにもない」ってこた即ち「なんでもある」ってことだ。
ホラ!アレだ、アレ。
般若心経だ。
「舎利子よ。色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ち是れ空。空は即ち是れ色。受想行識もまたかくの如し」
…って、観自在菩薩が言ってたヤツ。
あらゆるモノやコトは現象として生成しているだけで、ソレ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないってことだ。
参考資料☞ 空 | 生活の中の仏教用語 | 大谷大学
ってことで、
結論…
のようなもの…
モノに埋もれて満足するバブル世代特有のライフスタイルはもう、オワリ。
「なんにもない」ってこた即ち「なんでもある」壱岐の暮らしって、
か・な・り・ま・ん・ぞ・く。
絶対的価値が変わってしまったこの世で、まずなすべきは、やはり…
はいき…あ、イヤ、早岐ではなく、廃棄から始めよう。