さようなら。
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義父が他界した。
22年前に実の父を亡くしてから、
父として唯一の存在だった人をまた亡くしてしまった。
命日は、
3月19日。
奇しくも鬼塚の誕生日。
人は死して必ず「何か」を遺す。
その日を選んでくれたこと、
真摯に受け止めましたよ。
自宅の庭に咲く義父が愛でた、
椿。
何気なく柩の上に。
通夜のこと。
椿の所以も何も知らない桃原寺ご住職、
曰く「受け止める 大地のありて 椿落つ」
感涙。
まさに大地然たる義父でした。
…自分は「大地」のようになれるのだろうか?
過去から未来に想いを馳せて自らを活かしきることこそが「供養」。
遺してくれたこと託されたことにただただ感謝して、
未来を創り続けます。
さようなら。
さようならの言葉の由来のようにこの世界にはいなくなってしまったのだから。
「別れがたいけれど、左様ならば仕方あるまい」。
さようなら。
遺された我々は、今この瞬間を大切に生きます。
ありがとう。