鬼塚が間違っていた。すまぬ。興味のない人には面白くもない話は何のメリットも無いこともないかもしれない。
ジツは、ワタクシ鬼塚、何を隠そう芭蕉フリークでして。
あ、どうでもイイ?
だよねー。すまぬ。
それが、コレだ!
え、ナニ書いてあるかワカラン?
確かに。すまぬ。
この隣にも句碑があって、まだソッチが見やすいかな。
あれ?同じ句だ??ナゼ???
「行き行きて たふれ伏(ふ)すとも 萩(はぎ)の原」
句意「どこまでも行けるところまで行って、たとえ途中で力尽きて行き倒れても、そこが萩の花の美しく咲く野辺であるなら本望だ。」
出典「おくのほそ道」山中・曾良
え、ソラって誰?てか。
あー知らんか。すまぬ。
芭蕉の弟子
河合曾良(かわい・そら)
この句は、曾良が山中温泉(石川県)で病に倒れてしまい、師・芭蕉との旅を終わらせ、自ら病をおして旅立つ悲壮な覚悟が顕れている、悲しい句です。
その後、壱岐へ渡り、志半ばで病に倒れ、壱岐・勝本が曾良終焉の地となったのです。句を詠んだ時とシチュエーションが似ている?からなのか、この地に句碑が建てられたのでしょうかね?事情はよく知らんので憶測で。すまぬ。
壱岐市が長野県諏訪市と「友好都市」を締結しているのは、諏訪出身の曾良が悠久の掛け橋となったのでしょうね。詳しくは知らんけど。すまぬ。
そして、
ココ勝本にはモチロン、曾良のお墓もあります。
木漏れ日の向こう側は、勝本港。
全く興味のない人には、芭蕉なんて…と思うだろうな。
ましてや、その弟子の河合曾良って誰?…そりゃそうだ。
でもね、
何気ない日常の中に、
ささやかな出来事に、
歴史上のターニングポイントがあるのかもしれない。
先人たちが築いてきた「何か」を我々は預かってて、その大切な「何か」を次の世代におくり届ける責務がある。
地球村の子孫たちにおくり届けなければならない「何か」を、我々は大切にしているだろうか?
…すまぬ。
まずは他ならぬ、自分自身だ。
ご先祖からの預かり物が「自分」。
「自分」を今・ココで生かしきる。
それこそが供養だと昔誰かが言ってたな。
どうだ?オレ
…ご先祖さま、すまぬ。
鬼塚は、まだまだだ。
…てなことを、曾良のお墓に手を合わせて、想った。