ナニかを失ったニッポン社会が行き着く先…。

ドラッカー教授は、

「数百年に一際立った転換が起こる。(中略)世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術と芸術を変え、機関を変える。」

 1993年の著書『ポスト資本主義社会』において予見しました。

 

その「数百年に一度」の時期とは〜2030年頃までと論じており、

まさに今!

我々は我々が生きている間にはもう二度と訪れることのない壮大な転換点の渦中、

まさにクライマックスの只中にいるわけです。


まさか「預言者」とも称されたドラッカー教授が、

コロナ禍 までも予見していたとは考えにくいですが、

時代の転換点として"コロナ禍ビフォー・アフター"と称されることになるのは間違いなさそうです。

 

それこそ「緊急事態」。

人間も社会もこのような時にこそ本質が剥き出しになるものです。

所謂 "民度"とか"国力"が試されているのが、

今でしょ!

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さて、

我が国・ニッポン は、

どうだ!?

と、

ココまで書いておいて「ノーコメント(汗)・・・・・。」と言いたくなるほどの、

為体です。泣

 

聞こえてくるのは、

コッソリ旅行して感染してしまった人とか、

陽性とわかって夜の街に繰り出した人とか。

ただ、

国難と言えるほどの「緊急事態」ですから、

もう個人レベルでの行動を批判する段階にはないと考えられます。

にもかかわらず、

肝心の政府はというと、

お肉券?

お魚券?

マスク2枚配付に466億円もの血税が遣われた?

webronza.asahi.com

え、情報開示を減らすってどういうことよ?

news.yahoo.co.jp

そして、

たった今衝撃的な映像が飛び込んでまいりました!

安倍首相のTwitter…え、ナニコレ?文章と映像が恐ろしいほどToo Muchなんだけど(汗)・・・・・。

 

え、ちょ、我が国の政府ってヤバくない!?

ってことに今さら気づいてしまった自分もかなりヤバいなと(汗)。

その反面、

コロナ禍は悪い面ばかりじゃなく良い面も剥き出しにしてくれる。

政府は「人命よりも経済を優先させる」明白なメッセージを発してくれたと(発信側からするとそれは曲解だと言うかもだけどコミュニケーションの主役は受け手なので大勢の日本人はそう感じているはず)、

むしろ感謝すべきかなと。

お陰さまで今後の我々の選択と意思決定がやりやすくなった。

とも捉えられるワケです。

 

そこで、

鬼塚がベンチマークとしている「おそらく世界で最も幸福な国」デンマークはどうか?

デンマーク大使館の記事によると、

コロナウイルス感染の拡大の影響により、民間企業の失業者が増えることを抑制するため、デンマーク政府、使用者、労働組合三者が以下の合意に達しました。デンマーク労働市場では政府と労使の三者がそれぞれ妥協して合意がなされることが一般的で、今回も同様の合意に達したと言えます。

***

50人超または30%以上の社員を解雇せざるを得ない状況に陥った企業に対し、政府は当該社員の給与の75%(但し最大23,000クローネ=37万円)を補償する。企業は残り25%を負担する。時給で雇われている社員には90%(最大26,000クローネ=41万円)を政府が補償する。

期間は6月9日までの3か月間。

一方、この制度の適用を受け補償された者は、5日間の有給休暇を返上する。

企業はこの制度を申請する場合、デンマークビジネス庁のウェブサイトを通じてオンラインで手続きを行う。最初の補償は3月末に支払われる。 

コレって、

国の大小関係ない。

何が一番大切な価値か?

短期的視点か長期的視点か?

やるかやらないか?

すぐやるかすぐやらないのか?

ってことですたい。

 

それと真偽のほどはわかりませんが、

スペインがアフターコロナにおいて、

ベーシックインカムを検討しているとの報道もありましたね。

 

今までずっと言い続けてきましたが、

我が国・ニッポンとデンマークの決定的な違い。

「個人と社会(政府)の間に存在する信頼関係」

コロナ禍でまた明らかになりました。

 

 

くしくも、

本日2020年4月12日(日)は、

壱岐市長選挙の投票日。

我々にできるというかやらなあかん小さなアクション…投票行かなあかんでしょ!(鬼塚はもう期日前投票済ませましたけど)

 

ま、選挙とは関係なく、

国家や政権に対する愚痴はもうココに封印して、

自らがやらなあかん新しいアクション…決めました。

鬼塚、動きます。

 

ドラッカー教授曰く、

今の転換期の後に訪れる社会を、

知識社会 と称しました。

きたる知識社会において我々がなされるべきことをなすために、

今日の小さな一歩を踏み出そう。